――私は赤い息を吐いた。
11区へ行くまで残り1か月。結局、ハン・ヒジュンの言葉に従うことは、自分の中で既成事実になってしまっていた。旅立つことになれば、きっとかなり長い旅になることだろう。ひょっとしたら帰れなくなるかもしれない。
「今日は工房通りショッピングですね!外食もしますよね?」
「はあ……遊びに行く訳じゃないんだぞ」
「わかってますよ!私たちの事務所に必要な工房の装備を依頼しに行くんです!」
エズラが浮ついたように言う。
「もしかしたら、これが最後の買い物になるかもしれない」
「……それもわかってます。1か月後には出発しなきゃいけませんから」
「無理してついて来る必要はない」
「一人で美味しいもの食べに行くのはちょっと嫌なので~」
工房通りは便利屋の為の装備だけでなく、様々な生活必需品を販売している。だからこそ、自らに必要な工房を探すことは重要だ。もちろん、工房もそれぞれ宣伝をしている。口コミで広まったりもする。この中から選ぶ困難に比べれば、私は適切な工房を見つけるのに苦労をしない。隣にいる助手のエズラが、工房マニアだから。特に高い工房しか好まないようだが、とにかく様々な装備を何処かで調べてきて、そしてその結果も信頼に足るものだ。今は、自分だけのコレクションを次元鞄に詰めている。
「探偵さん!いつもの工房が、全部品切れか、依頼を締め切ってるみたいです!何が起こっているのでしょうか?」
「さあ、私たちの知らないうちに、どこかで指が一発やってるのかもしれない」
「ええ…今より遅かったらここを出るまでに受け取れないのに…」
エズラはぶつぶつと文句を言う。
一方私は、どうにかなるだろうと思いながら歩いていた。
「探偵さん…!後ろ…」
「おや…面倒そうな奴らがついてきたな」
組織か…便利屋か…それとも翼か…?どれにしたって殻が違うだけで中身は同じだ。私から情報を聞き出そうとする奴ら。こんなところからついて来るような"御友人"と対話するには、さらに裏の路地に入る必要がある。迷路のような路地をゆっくりと歩いていく。誰も住んでいないような鉄製の扉が壁にめりこんでいる。時間は正午。人々の声が次第に遠ざかる。後ろからついて来る足音はさらに大きくなる。袋小路、捨てられた空き地に差し掛かった。ここは、私たちが対話の場として好む場所だ。目撃者もいない、裏路地のどこか。目撃したってどうしようもない空間。
「さて、御友人たちは何が気になってついてきた?」
私はコートの内ポケットから煙管を取り出し、口にくわえた。沢山ついてきたな。ざっと30人ほどか。皆緑色のスーツを着ている。ねじれは深刻ではない。それぞれに手にバットや剣を握っている。そのうち、緑の中折れ帽をかぶった奴が前に出てきて言った。
「あんたがクッキー通りの便利屋モーゼスかい?」
「ああ」
私は笑って答えた。
「あんたが持っているその長い煙管を買いたい」
これは意外だ。もう誰かがこの煙管の情報を知っているなんて。
「いくらですか?!」
エズラが目をきらきらさせながら言う。
「一億眼」(※1)
「ええ~。これは少なくとも5億眼くらいは積まないと交渉できないようなものなのです!そうですよね、探偵さん?」
エズラは不満そうに言う。
「5億積まれても困る。これは私の一部だ。誰かの売るなんてこと考えたこともないな。ところで、この煙管の情報を誰から聞いたんだ?」
「……潔い取引をしたかったんだが、仕方ないな」
中折れ帽をかぶった奴は後ろへと下がった。
「エズラ、処理出来るか」
「は~い!」
エズラが次元鞄を地面に置きながら叫んだ。
「街頭戦闘セッティング!」
そういうとエズラの手にアルラス工房の手袋がはめられ、ネスターハンマーが握られる。同時に30人の連中が私たちに襲い掛かってきた。エズラが路地から空き地に向かう狭い入り口を一人で塞いでいる。走ってくる連中を、エズラは一人ずつ相手にする。エズラの使用するアルラス工房の手袋は、動きに5倍の加速度を与える。その手袋をの効果を発動させたまま、ネスターハンマーを振り回す。
ネスターハンマーは片手で持てるほど小さいので、今のような狭い路地での戦いには有利だ。その性能は、衝撃の面積を接触面から拡散させるものだ。加速したネスターハンマーが体にぶつかると、緑色のスーツを着た奴の胸に大きな穴が開いた。ハンマーを振り上げて頭をかち割る。もう一方の手を振り回しながら、走ってくるもう一人の顎を潰す。そうやって、一人ずつ骨を折って体を割っていく。しかし狭くともエズラの身体より広い路地の通路は塞ぎ切るのには足りず、抜け出す奴らもいた。そもそもあいつは今、本気で相手をしていない。
「えへへ~逃しちゃった奴らは探偵さんが処理してください!」
「…減給」
「ええっ!?」
私は赤い息を吐いた。煙管が赤く輝き、剣の形に代わる。柄を掴んで準備をする。構えて、走ってくる奴の喉に剣を突き刺す。一人ずつ、踊るようにステップを踏み、赤い穴を開ける。路地と空き地には、むせ返るような血の匂いだけが漂っていた。
「探偵さん!あの中折れ帽に逃げられますよ!?」
エズラは血塗れになりながら叫んだ。
私は紫の息を吹き込む。煙管がぐにゃりと垂れ下がり、やがて紫色の棘が生えた鞭になった。私は煙管を振り回し、中折れ帽の足首を掴んだ。バランスを崩し、血だまりになった地面に倒れこむ。エズラは転んだそいつを抱えて、私の前で下ろした。
「言え、煙管についての情報、誰から聞いた?なるだけ使わないよう心掛けていたんだが」
「俺からは言えない」
「エズラ!この御友人と話してやってくれ」
後はエズラに任せて、空き地で一人煙をくゆらせた。
まもなく、顔が血塗れになった人間と一緒にエズラが現れた。
「探偵さん!脳に鍵がかかっているようです!何をしても口を開きません」
前に置かれた奴の首を曲げ後頭部を見る。J社のロゴが小さく散りばめられている。
「そうか、特異点まで埋め込んでいたのか…依頼人はかなり金をかけたようだな。それでも吐かないなら方法はある」
今度は白い息を吸った。白い煙が奴の身体を包む。
「さあ、深く吸え」
煙を吸い込むとがたがたと震えた。
「これはお前の意志ではない。私の意志だ。考えが錠に阻まれることもない」
ぽつりぽつりと言葉が聞こえる。
「ユリア工房…あの煙管の原理を分析したがっていた……持ってくることさえできれば殺しても構わないと……」
「ほう…」
エズラが驚いたように目を丸くした。
「エズラ、ユリア工房について知ってるのか?」
「はい!メンバーシップに入ってないと利用できない、プレミアムな工房です!14区の工房の中でも10本の指に入るはずですよ?」
工房マニアのエズラの目が輝いた。
「なんでメンバーシップに加入できなかったんだ?」
「ちょっと厳しくて…私たちは多分、受け入れてくれないと思います…」
煙管の作動原理を分析したい、か……。
私も、これがどう動いてるのか知りたいくらいだ。
「その工房なら、私たちが必要とするものを作ってもらえると思うか?」
「はい!そうですね!腕だけは確かなところですから!」
「エズラ!ユリア工房に案内しろ。こいつを連れて、私たちを殺そうとした奴に挨拶でもしに行こうじゃないか」
【次回】
「ここもなかなかだな。何故メンバーに入れなかったのか分かったよ」
「そうですね…これは私も想像してませんでしたけど…」
※1 眼…あの都市における金額の単位。円やウォンのようなもの。眼と表記される。(該当文に戻る)
留言