――試験が始まった。
ハン・ヒジュンが私の頭の中を荒らしてから1週間が過ぎた。行くか行くまいか、少しは悩んでみた。どうせ私はそこに向かうしかないことは知っている。一体何を悩んでいるのだろうか。
「探偵さん、今度の依頼は高校です!」
エズラは相変わらず明るい声で話しかけてきた。
「学校?依頼主は教師や校長か?」
「いいえ…この学生です」
「こんにちは…メリルと申します」
エズラの後ろで誰かが照れくさそうに挨拶をした。片方の足は数字で出来ている。
「どこの学校だ?裏路地の学校の生徒が、事務所に依頼する金なんてあるのか?」
「探偵さん!それがですね!N社の巣の中の私立高校に通う顧客…いいえ!学生さんなんです!」
巣の中の私立学校の生徒か……私の事務所を利用できる金は小遣いで足りるだろう。依頼費さえ払ってくれるなら、金持ちの子供たちの探偵遊びに付き合う気はある。
「それで、その小さな依頼人は何を解決したくて来たんだ?」
「実は……私たちの学校で変なことが起きているんです。もうすぐ重要な試験期間です。皆、大学入試の準備で、ナーバスになってるんです」
巣の高校生は当然巣の大学に入らなければならない。ほとんどの巣で1年に一度行われる大学入学能力試験。
この一度きりの試験が多くのことを決定する。低い成績だからと裏路地の大学に行ったって何も変わらない。どの大学であれ、一旦巣に属する大学に進学すれば、翼に入社する最小条件を満たすことになる。
「学校で起きている変なことが学業に支障をきたすと。私たちにそれを解決してほしいのか?」
「成績の為ではないです……!友達が、おかしくなったんです……学校が変なんです!生徒たちも……先生たちも……」
「それがどう変なのか教えてくれれば、相談の一つでも乗るんだがな」
「皆家に帰らないんです。授業が終わらないんです!」
「生徒全員が?」
「はい、生徒全員です……」
「お前は?」
「私は……私だけは出られたんです……気が付いたら学校の教室にいました。時間は夜明けでした。前で先生が監督をしていて、友達は皆問題を解いていました」
「生徒たちが家に帰らないって、親は心配しないんですか?」
エズラが怪訝な口調で言った。
「もうすぐ卒業試験ですから……私たちの学校の模擬試験の平均点数は、巣の中でいつの間にか10位以内に入っていたんです」
親は、子供たちの試験の点数が上がったから、学校に干渉しなかったようだ。
「この状況が続いてどれくらいが経った?」
「私の記憶が途切れる前は2か月前でした。その日は、もうじき進学クラスが出来るという告知が掲載された日だったんです。成績の良い学生から選抜する、と。」
2か月も続いているねじれか…。
「これは行って様子を直接見ないとな。エズラ!巣に入る準備をしろ」
「はい!便利屋の免許証と、協会所属証明書を取ってきますね~」
N社の巣にはあまり入りたくない。純白の立て並ぶ場所。こんなところで暮らせばたちまち気が狂ってしまうだろう。
5階建ての四角い学校。学校もやはり白い。白い校門に白い運動場。学校には静けさだけが満ちている。
異質なものが一つ。学校の屋上に浮かんでいる赤い数字。"5"。
「メリルさん!学校の上に書かれたあの数字はなんですか?」
「ああ、今年最後の模擬試験まで残った日を知らせる数字です」
「殺伐としているな、血塗れだ」
「探偵さん!あの数字は学校と同じく白色ですよ?」
「……ねじれか」
数字から、赤い水がぽたりぽたりと落ちる。
「外部の人が入るのに、手続きは要らないのか?」
「今は、誰も気にしてません」
学校の中に入ると、音が聞こえてきた。
かり…かり…
音が次第に増え、大きくなっていく。
かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり
かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり
頭が痛くなってくる。
「この気分が悪くなる音はなんだ?」
「各クラスで生徒たちが皆一緒に問題を解く音です…どれだけ鉛筆に力を込めてるんでしょう…」
窓から、1-7と書かれているクラスの様子を見た。
40人の生徒たちが机に頭を突っ伏し、手だけを動かしていた。
「探偵さんの目には、生徒たちがどう見えますか?」
「制服を着ている数字の塊だな」
「はっ!ねじれが進行してるんじゃないですか?」
「進行どころじゃない、既にねじれている……」
「あの……ねじれてるってどういうことですか?」
「お前の言ったおかしなことが実際に起こっているということだ」
その時廊下の向こうから何かが現れた。廊下を埋め尽くすような壁だ。
『警告!警告!勉強をしない学生は懲戒措置!』
「探偵さん!ねじれです!私にも見えます!」
壁の真ん中には数式が書かれている。数学の問題で作られたねじれだ。
様々な問題がある。ざっと見たところ微積分の問題のようだが…
「エズラ!あの問題は解けるか?」
「えへへ……いいえ……」
くそっ、聞いた私が馬鹿だった。金の計算だけしか速くできないのか。
「メリルさんは?」
「私は文系なので……」
「くっ……」
後ろは廊下の突き当りだ。とにかく突破するしかない。あの壁に書かれた問題さえ解けば、このねじれの問題も解けるに違いないのに、誰も問題を解けないなんて。なんて皮肉な話だ。
私が出るしかない。
私はボールペンを取り出し、近づいてくる壁に答えを書いた。
『不正解!補習授業措置!』
そりゃそうだ。壁が私たちを圧迫する。こんな風に終わるなんてな。次は勉強の出来る奴を助手にしよう……
意識が途切れた。
気が付けば教室だった。私はこの学校の制服を着て机に座っている。
周りを見渡したが生徒たちは依然として手を忙しなく動かし、問題を解いている。一体時間がどれぐらい経ったのだろうか?
教室の中央には"30"という赤い数字がある。前に見た時は"5"だったが……過去に遡ったのか?時間遡行のねじれか?
瞬間、強い力が私の後頭部を押した。
私の頭は机に伏した。
『問題を解くように』
高圧的な声が聞こえてきた。
私の前に置かれた問題用紙を見る。
17) 3人の人間をミキサーにかけると10のエネルギーが得られます。
この時2人の人間だけで15のエネルギーを得る為にはどのように解体すればよいでしょうか?
23) チョルスは美術家になりたがっています。
しかしチョルスが行かなければならない翼では美術家を必要としていませんでした。
この時、チョルスが殺さなければならない夢は何人でしょうか?
45) 小さな人間を集めて作られたキューブがあります。
キューブ工場では生産量を合わせなければなりません。
またキューブは目玉を線で結ぶと六角形を作ることが出来ます。
左目の外心を"O"とする時、四辺の長さが4mのキューブを作るには右目がいくつ必要でしょうか?
ねじれた学校にねじれた問題。意味のない問題が刷られ、解かれるのだろう。
「うゆゆゆ…探偵さん…問題が何の話をしてるのか一つもわからないです…」
エズラが隣の席にいた。泣きべそをかいたまま私を見つめている。下へ向いていた頭をやっとのことで持ち上げ、数字を眺めた。
"17"……残りの日数ではなく、時間だったらしい。
「とりあえず、黙って試験が始まるまで待ってみるか。問題用紙に何でもいいから書いておけ」
「はぁい……」
『模擬試験まで残り10分になりました。生徒の皆さんは一つでも多くの問題を解かなければなりません。
全て、皆さんの未来の為です。今解いた問題が武器になります』
再び何処かから声が聞こえてきた。
いつのまにか、数字は0になっていた。
キーンコーンカーンコーン
『模擬試験を始めます』
声とともに学校が崩れた。
白い平原の上に生徒たちが取り残される。
そして中央に高い階段がそびえたつ。
階段の頂点には、トロフィーが掲げられている。
試験が始まった。
「うわああ!探偵さん探偵さん!これもねじれですか!?」
「…こんなことありえない」
ねじれに関する情報を更新する時が来た。
「探偵さん、しっかりしてください!一旦退却です!」
集団の利害と欲望が一致する時、巨大な結界を作り出すようだ。こんな規模のねじれを見るのは初めてだ。
集団のねじれ……この学校全体がねじれた。いや、この学校ではなく、生徒たちが全員ねじれた。全員が階段を上がろうと駆け出す。
先に進む生徒を押し、後に続く生徒を押しのける。数字は互いを足し合わせる。掛け合わせ、割る。体から小数点が噴き出す。
ここは戦場だ。それもとびきり残酷な……
数字だけで互いを認識し合う戦場。他の言葉は要らない。数の暴力で自分を足し合わせ、相手を削らなければならない。今まで解いた問題は、今互いを殺す為の武器になる。
学生が他の学生に数字で引き裂かれる度に、頭の数字が落ちていく。数字の学生たちは我々に襲いかかりはしない。階段の下にいる数字が少ない者は相手にする価値すらないということだろうか。
「便利屋さん!ここです!」
生徒のメリルだ。みるみるうちに体が数字でねじれていた。メリルはいつの間にか階段を上っていた。
「メリルさん!降りてきてください!」
エズラが叫ぶ。
「メリル!階段を上る必要はない。これは戦争であり賭博だ。互いに知識と成績をかけて戦っているんだ。そもそもこの階段に上らなければ巻き込まれはしない!」
「いいえ…!私はここに残ります。これは進学クラスに行こうとした、私たち皆が受け入れたものでした!」
メリルは他の学生たちを殺しながら言った。
「この殺戮に参加すると?」
「私はもう真ん中まで上りました。もっと上に行けます!」
瞬間、メリルの後頭部に7が刺さった。頭の数字が落ち、メリルも地面に落ちる。
どさっ。どさっ。どさっ。
生徒たちがばらばらと落ちる音が聞こえる。
生徒たちの殺し合う声が聞こえる。
エズラは俯いたまま床をじっと見つめている。
私は黙ったまま階段を見守っている。
巨大な数字の頭をした生徒が、階段の頂点に辿り着いた。
『試験が終わりました!生徒の皆さんには階段に上った数だけの知識と成績を分配されます。階段に上った上位20%の生徒は進学クラスに選ばれ、我が校を代表するでしょう!』
閃光とともに学校は元の姿に戻った。生徒たちも何事もなかったかのように席に座っている。その中にはメリルもいる。
「メリルさん!お体は大丈夫ですか?」
エズラがメリルの元に駆け付けた。
「あ……ああ……あ……」
メリルは私たちをぼんやりと見つめながら、ぶつぶつと理解出来ない言葉を呟いた。
「もう駄目みたいだな……」
「これは酷いです……」
「……メリルの下した選択だ。罪悪感を持つ必要はない」
「でも……」
「……帰ろう」
「今回のねじれは解決できませんでしたね……」
「全ての問題を解決することは出来ない」
私はコートの内ポケットから煙管を取り出してくわえた。
「何故ねじれた人々は常識的な判断が出来ないのでしょうか。皆極端過ぎますよ!」
「……思考が追い詰められるからねじれるんだ。焦燥が理屈を凌駕する」
同じ学校に所属する40%の生徒たちは、どこにも進学することも出来ないまま部屋に閉じこもったという。しかし進学クラスでは、都市で類まれなる名門大学進出率を見せ、学校の名声を挙げた。保護者からの入学問い合わせは後を絶たなかったと。
互いを殺して階段を上った生徒たちは、やがて翼に入ってその羽根になるのだろう。
この都市は、数多の羽根たちで出来た翼で羽ばたくのだ。
【次回】
「今日は工房通りショッピングですね!外食もしますよね?」
「はあ……遊びに行く訳じゃないんだぞ」
「わかってますよ!私たちの事務所に必要な工房の装備を依頼しに行くんです!」
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